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薬剤師として働きながら博士号を取得する方法とは?

 

筆者(以下私)は、修士課程を卒業して社会人になり、薬剤師として働くようになりました。いわゆる院卒(修士卒)の薬剤師です。現在は薬局で薬剤師として働いていますが、私は薬剤師として働きながら博士課程取得しました。

 

現在私は修士卒の薬剤師ではなく、博士号をもつ薬局薬剤師です。私は薬局で薬剤師として働きながら博士号を取得しましたが、働きながら学位を取得する方法論の1つとして、社会人大学院というものがあります。

 

薬剤師として働いている方の中に博士号の取得に興味がある方もいらっしゃるかと思います。今回、私が働きながらどのようにして博士号を取得したのかを主に体験談として記していきたいと思います。

 

ただし、私の経験はかなり特殊なものだと後になって感じています。私と全く同じ方法で博士号を取得できるかどうかはわかりませんが、あくまで体験談として読んでいただければと思います。

 

社会人大学院とは?

社会人大学院とは、社会人が入学試験を経て大学院に入学し、社会人として働く傍らで規定の単位を修了すれば、学位(修士号や博士号)を取得することができます。社会人大学院で学位を取得できれば、学歴を追加することができます。

 

私が社会人大学院に入学した当時は、薬学部が6年制になって初めて卒業生が出始めた頃でした。そのため、4年制の学位卒のままだと何となくの心配なので、社会人大学院で修士号を取得するという方がちらほらいらっしゃいました。ちなみに自分の場合、入学試験は小論文と面接で、英語は受験科目にありませんでした。

 

大学院の修業年数は修士課程で2年、博士課程で3年と設定されている大学院が多くありますが、社会人の場合はこの規定された期間に学位を取得することはあまりなく、通常はプラス数年かかります。この理由は、社会人は仕事をしながら大学院で研究を行うため、研究にあてられる時間が限られるためです。

 

本業が多忙過ぎると、研究がなかなか進まずに学位取得までに相当な時間がかかったり、中には取得をあきらめてしまうこともあります。

 

私は薬局で薬剤師として働きながら、社会人大学院に通いましたが、1日のサイクルとして9時から18時まで仕事をして、その後大学へ行って研究を行いました。それが終わるのがだいたい夜中の12時頃だったと思います。

 

研究を行った成果として論文を作成しますが、論文をどのくらい作成することができるかで、学位が付与されるかどうかが判定されます。判定基準は大学によって異なると思いますが、私の大学院で博士号を取得するためには、自分が主な作成者の論文(作成者として1番目に名前が載った論文)が1報、自分が大きく関わった論文(作成者として2番目以降に名前が載った論文)を1報を世の中に出版する必要がありました。

 

修士号の場合は、博士号のように論文を作成しなければならないというところまではなく、学内で研究成果を発表できるという程度の基準であったと思います。

 

したがって、修士号を取得する場合は、研究を行いその結果をまとめることができれば取得することができますが、博士号の場合は研究を行い、かつ論文を作成する必要があります。そのため、研究の成果が上がらず論文が作成できないでいるといつまでも博士号が取得できない状態となります。

 

私の場合、指導教官の手助けにより論文作成がスムーズに行き、4年間で博士号を取得することができました。

 

 

社会人大学院で博士号をとろうと考えた動機

私が社会人として働きながらでも学位を取ろうと考えた動機は、自分に納得できていなったという点だと考えてます。

 

当時薬局で薬剤師をしていましたが、薬局で働くと社会人として働き始めにしてはそこそこの給料をもらいながら、ほぼ毎日定時上がりをすることができます。この状況はブラック企業がはびこる今の時代では本来なら好ましい状況ということができます。

 

しかし、当時の私は若さと好奇心のせいか刺激のない毎日に我慢することができず、もっと刺激的なものはないか、もっと他に自分だけにできる仕事はないかと常に考えていました。

 

また、大学院での研究に対しても未練が残っていたのも一つの動機です。もう一度研究をやってみたいという気持ちが薬局で働く中で自分の中に取り残されていた状態にあったのではないかと思います。

 

このような状態で、学位(博士号)をとれば今の状況を打破し、自分の満足できる環境にできるのではないか?また学位をとることでもっと他の仕事を選択できるのではないか?という動機で社会人大学院に進学することを選びました。

 

今思えば、よくこのような浅はかな考えで決めたなと自分に呆れてしまいます。打算的な部分が多かったのではないかと思う反面、純粋に研究をやりたいという気持ちも強かったとも考えています。

 

大学院へ行くかどうかかなり迷いはありましたが、今となっては自分が社会人大学院の道を選んだことを全く後悔はしていません。

 

 

学費をどうやって捻出するか?

学位を取得しようとするモチベーションはありましたが、社会人大学院では当然学費がかかります。それをどう工面するかということで当初は進学を躊躇していました。

 

しかも当時私は、子供はいなかったのですが、結婚していて独身ではありませんでした。研究に対する一途な想いはありましたが、さすがに学費で家計を圧迫してまで研究をしたいとは思いませんでした。

 

ここで本当に研究をやりたい気持ちがあるのなら、有無を言わずに研究に飛び込むべきだとつっこみを入れる方もいると思います。しかし、私の中で生活の基盤はあくまでもプライベートで、プライベートの安定なしには勉学はできないと考えていました。

 

そのため、大学院へ行くための条件として、学費は全て自分の稼いだお金だけでまかなうこととなりました。このことについてはずいぶんと妻と話し合ったと思います。

 

学費は年間60万円程度で3年間分払う必要がありました。私立大学でしたが、学部生のときに比べると随分安かったと思います。学費の捻出方法として、当時やっていた学校薬剤師と夜間の救急当番で得られる給料を学費に充てることとしました。

 

学校薬剤師を2校分担当していましたので、1か月で2万円程度、夜間の救急当番で1回につき2万円くらいでしたので、そこで得られる給料を月に約5万円ずつ貯めていって、学費に充てることにしました。

 

学費は年に2回の前後期に分けて納めていたと思います。年間60万円といえばそこまで高くない印象がありますが、これが3年間続いていくと実際地味にきついです。今思えば、学費を稼ぐためによく夜勤をしていたなあと思い出されます。

 

 

博士号を取得するまでの状態

博士号を取得するにあたって、修士を卒業してから社会人大学院に行くことを決めたとき、3年程度経過していました。卒業後も研究室の先生とコントタクトをとっており、私は運良く、修士のときにお世話になっていた研究室の先生に一緒にやろうと誘っていただき、修士時代の延長というような形で研究室へ通うことになりました。

 

前述したように、具体的な生活サイクルとして、9から18時までは薬局で働き、だいたい20時以降は大学へ行き研究を行いました。研究というと難しい内容に思えるかもしれませんが、私がやっていたのは主にサンプル解析を行っていました。

 

当研究室では、ある疾病に関する新しい検査法を確立するという目的で、すでに検査方法は指導教官が立ち上げてあり、あとはその検査法が正しいのかヒトから採取されたサンプルを解析するというのが仕事でした。

 

ここでも私が運が良かったと思う点が2つあります。1つ目は、解析方法がすでにほとんど確立されていたということです。通常はこの段階に達するまで何度も試行錯誤し、考察を重ねていかなくてはなりません。しかし、私が研究室に配属された時点で、この方法がほとんど出来上がっており、それを実践可能かどうかの確認をすれば良かったのです。

 

2つ目は、私の研究テーマの疾病は非常に珍しい疾病で、他に研究しているところが少なく、論文にしやすかったという点があります。研究テーマになっていた疾病は、国内の病院で取り扱う機会が少なく、私が研究を行っていた大学病院は全国に数か所あるうちの起点となっていました。

 

そのため、本来ならサンプルを採集するために奔走する必要があるのですが、私の場合は全国から解析依頼が来るという状態で、非常に恵まれた環境にあったと思います。

 

したがって、研究テーマの競合が少なく、論文にしやすく、さらにサンプルが全国から集まってくるので解析に集中できるというのは私が博士号をとる上で幸運だった点だと思います。

 

このような状態で、仕事が終わってから、足しげく研究室に通いコツコツと研究を続けていきました。ほとんどの研究室では、教授や研究員などが集まってカンファレンスを行ったりするところがありますが、私の場合は研究室に所属していましたが、ほとんど指導教官とマンツーマンの状態でした。そのため、カンファレンスの回数は少なく、ほとんどの時間を実験に費やしていました。

 

私の指導教官は、研究員でありながら、臨床医でもありましたので、研究以外に臨床の話や処方に関する話を聞けたりして、普段の仕事に役に立つ情報を得られたりしました。

 

今思えば、指導教官の人間性に感謝するとともに研究室へ通い続けた日々は自分の知的好奇心を満たすという当初の目標を達成できるものであったと感じています。

 

具体的な研究の内容はウエスタンブロット法という解析法をつかってひたすらサンプル解析を行っていました。この解析方法は通常だと1日がかりでやる実験なのですが、私の場合は2日間の工程に分けて行っていました。とにかく膨大なサンプル数を解析していたのを覚えています。帰りがときには午前4時まで残ることもありました。

 

今思えば、きついと感じる部分もありましたが、好きなこと(興味のあること)だったから続けることができたのかもしれません。その一方で妻を一人にして申し訳なかったと思っています。

 

このような生活を4年くらい続けていきました。一般的な実績としては少ないかもしれませんが、最終的に論文を2つ発表でき、国内の学会発表や海外でもポスター発表を行いました。当時を振り返ってみると、当時の生活はとても充実していて、オンとオフのメリハリのある生活だったと思います。

 

 

学位取得とその対価

結局、博士号を取得するまでにトータル200万円弱の学費と研究に関する時間(土日祝日も含めて)をコストとしてかける必要性があります。

 

私が考えるその対価としては①やりたいことができる(研究ができるということ)、②人脈の形成(薬局業界で知り合うことができなかった先生方との出会い)、③アカデミックポスト(運が良ければ大学に残れるかも)があると思います。

 

論文を作成するまでに①1つの物事について考え、ディスカッションすること。②英語で論文を書くこと、③学会での発表などを行っていきましたが、これらの1つ1つ過程が自分のためになった考えており、高い学費を支払って得られた対価だったと考えています。

 

これらが200万円を払って得られる対価として妥当かどうかは、人の価値観だと思いますが、自分の中ではやって良かったと納得しています。論文という形で自分の研究成果が残り、それを世界の誰かが目を通す可能性があり、世界の誰かの役に立てるかもしれないと考えると自分のやったことに意味を見出すことができ、満足してしまうのです。

 

 

他人に社会人大学院を勧めるか?

前述のように自分は社会人大学院の経験をやって良かったと考えています。しかし、これを他人に勧めるかというとどうでしょうか?

 

社会人ともなるとどのような立場であっても社会的な責任からは逃れられません。それが職場における責任もありますし、家庭における責任であるかもしれません。もし、社会人大学院に行くのであれば、社会的な責任を果たしながら、勉学を続けていくことが必要となります。

 

私と同じように社会人大学院に通った知り合いの中には、仕事が多忙過ぎるために研究がほとんどできず、学校を辞めたという人や仕事と研究で家庭サービスができず、奥さんと険悪になってしまった人もいました。

 

このようなことがあるので、いくら自分がかけがえのない経験ができ、学位をとれたとしても誰にでも社会人大学院へ行くことをお勧めすることはできません。相応の努力はしましたが、今でも自分が働きながら4年間で学位を取得できたことは非常に幸運だったと考えています。

 

また、学位を取るのであれば、若いうちにやり、独身のときにやるのが理想的だと考えます。結婚後でもできるが、妻の理解が必要で小さい子供がいるとさらにハードルが上がります。結局は地道な研究を継続できるかどうかは体力と、それが許される環境が必要になってきます。

 

このように社会人ともなるといろいろな責任が伴いますので、それを十分に達成できるかどうかよく考えなければなりません。単に研究がやりたいだけで飛び込んでいくのは、仕事も研究もどちらもダメになってしまう可能性が高いと考えます。

 

 

結論

以上述べたように、社会人大学院では薬剤師として働いているだけではできない経験ができます。しかし、そこで得られたものがお金と時間をつぎ込んだ分が確実に自分にかえってくるかどうかは不明です。

 

もしそれでも社会人大学院へ行きたいのであれば(特に博士号を得るために行くのであれば)、打算的な目的があってはダメで、自己研鑽のためより純粋に勉強をするという目的をもつべきだと思います。お金と時間はかかると思いますが、そこで得られるものは一生残るものだと思いますし、人生を良い方向に進めていく転機になるかもしれません。

 

私の経験したことを少しでも知っていただき、進学を迷っている方の参考になれれば幸いです。

 


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